ギターがふたり、だからこそ生まれる余白

ギターが二人

「ギターが二人いるバンドって、音が厚くなるよね」

それはたしかに一つの魅力。でも、厚みだけを求めるなら、エフェクトで広げたり重ね録りで対応することもできる。にもかかわらず、リアルなバンド編成で二人のギターがいる意味って、実はもっと繊細で、豊かなものなんじゃないかと思う。

ギターが二人いることで、音に余白ができたり、対話が生まれたり、空間の奥行きが感じられたりする。ここでは、4人編成(ギター×2+ベース+ドラム)というシンプルな形の中にある、音のバランスと役割の妙を見つめてみたい。

分担の妙:役割が重ならないように

ギターが一人だけのバンドでは、その一人がリズムもリフもアルペジオもソロもすべて引き受ける。でも二人いると、そこには“あえてやらない”という選択が生まれる。

たとえば、

• 一人がコードを短くカッティングで刻み、もう一人が単音で浮かぶようなフレーズを弾く

• 一人が低い音でリフを弾き、もう一人がアルペジオで空間を彩る

• あるセクションで、一人は完全に休むことで、もう一人のギターが映える

こうした分担は、「主役と脇役」ではなく、対等な二人が役割を交わしながら進んでいくという感じに近い。大事なのは、重ならないことじゃなく、ぶつからずに響き合うこと。音数が多い編成だからこそ、それぞれが“引き算の感覚”を持っていると、自然に余白が生まれてくる。

定位と空間:左右に広がる風景

ギターが二人いるとき、ライブではそれぞれが左右に立っていることが多い。それをそのまま音像に持ち込むと、録音でも自然と左右に振り分ける(パンニングする)という手法になる。

このとき面白いのは、ただ左・右に置いただけでも空間が生まれるということ。左右のバランスが取れるだけでなく、間にある「真ん中の空白」が際立つ。そこにベースやボーカルが浮かび上がってきたり、ドラムのスネアやハイハットが際立って聴こえたりする。

定位の工夫で生まれる風景には、たとえばこんなものがある:

片側が刻むコード、もう片側が浮遊感あるフレーズ → コントラストがドラマになる

二人とも薄く弾く → そのぶんリズム隊の存在がくっきり聴こえてくる

互いの“間”を聴き合って弾く → 無音の時間にすら、音楽が感じられるようになる

ここでは単なるステレオの話じゃなく、「音と音の距離」の話をしているんだと思う。ギターが二人いるからこそ、定位という“音の居場所”を丁寧に考えることができる。その結果、全体が立体的に響いてくる。

余白のための会話:引くギターの価値

ギターが二人いるバンドのライブを観ていて、「あ、今この人は弾いてない」と気づく瞬間がある。それがすごく自然で、音の景色の中にちゃんと“居る”感じがするときがある。

これってすごく大事なことで、「弾かないこと」もまた演奏なんだと思う。

一人がフレーズを伸ばしているとき、もう一人が静かに待つ。

一人がリズムを支えているとき、もう一人は和音を外して色味を加える。

お互いが「弾きすぎない」ことを自然に理解していると、音楽の中に会話が生まれる

そしてその引き算が、ベースやドラムの鳴りをきれいに見せるための背景になる。ギターが二人いるという贅沢な状況だからこそ、音の数を増やすより、引いたときの強さを感じられる。

音の数が増えたぶん耳が休める場所が必要になる

ギターが二人、ドラムとベースもいる。バンドとしては必要十分な構成だし、音に厚みも迫力も出せる。それだけに、つい「音を足していく」方向に向かいがちになる。

でも本当に気持ちのいいバンドサウンドって、すべての楽器が鳴っている“その間”にある空気を感じられるものだと思う。

音が多いからこそ、「この瞬間は誰が引くか」「どこで空けるか」を考える。

ギターがふたりいるからこそ、重ねる美しさと空ける勇気の両方を持てる。

そして、音の密度だけじゃなく、耳の休む場所があることが、最終的に“気持ちよさ”につながっていく。

バンドって、ただ音を出すだけじゃなくて、それぞれがどう“場をつくるか”**の集まりなんだと思う。ギターが二人いる4人編成は、その絶妙な駆け引きがとてもよく表れるフォーマット。

音の中の「余白」にこそ、聴き手の想像が入り込むスペースがあるのかもしれない。

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